神田企平案:真価主義(売買地価主義)
土地の価格は、市場における売買価格から評価すべきと主張する。幕藩時代、土地取引は、市街地宅地の取引が容認され、取引事例も収集可能であったが、大部分の地租を担うべき農地は、有名無実といえ、永代売買禁止の掟により、表向き売買は禁止されていた。こうした掟を全廃したといえ、急に比較しうる多数の売買事例があるわけでもなく、地域的・用途的にばらばらで、全国的に均衡のとれた地価を求めることは不能であった。
そこで、神田公平は、申告地価主義を折衷案とした。
この案は、地租を負担する者が、それぞれ、思うところの地価を申告し、他人の付値がこれより高い場合、その価格で売る義務があり、若しその価格で売ることを肯じない場合、他人の付値を地価とする案である。これは、孫文の平均地権に似ている。土地取引が未熟性で、売買価格に準拠することができない場合の過涯的・経過的措置と考えられる。
陸奥宗光案:法定地価主義
今でいうところの収益還元法である。反当り収量と米価から総収入を査定し、これより種籾肥料代村入費地租を控除した純収益を還元利回りで資本還元して、地価を算出する案である。
当時の土地取引の実情、事務手続きの煩雑さ等からみて、陸奥案の方が、実務的・実際的にみて実行可能であり、地租収入を主な財源とする上で、歳入見込みが予測しやすいことから、この案が評価手法として採用された。しかし、この方法は、その後大きく変動する経済活動に対し硬直的てあり、やがて、土地取引市場の熟成による売買地価との間に大きな齢靡をきたすこととなる。
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