不動産評価の沿革

 


 
 不動産評価は人間に社会関係を生じ、人間が土地を意識した時、すでに始まったものと推定されます。
 しかし、客観的な不動産評価が行われ始めたのは、明治維新により近代的土地所有権が確立された以降のことと考えられます。当時、明治政府の財政基盤である地租収入を確保するため、課税上の不動産評価が必要でありました(注)。又、近代的土地所有権の確立は、土地所有の自由と流動化を可能にし、資本主義の勃興、発展と相保って資本の不足するわが国においては、金融担保上の不動産評価が必要となりました。
 一方、急速に資本主義化の道を歩まねばならなかった当時は、封建的残拝も名所にみられ、不動産鑑定評価にも様々な問題点並びに紆余地折があり、このことは、当然のこととして、そのための理論や技術を発掘される根拠ともなりました.特に、不動産評価業務の拠点である金融機関において、理論や評価手法の研究が
活発に進められました。このうち、勧業殖産の使命を担って明治30年設立された日本勧業銀行において、既に、開業前から「抵当物価格鑑定規則」が制定されており、当時、わが国にこれら関係の飼料が乏しいため、外国不動産銀行の土地評価手法を参考とし、日本の土地の特殊性を加味するなどして、非常な苦心の末、とりまとめられたとのことです。



(注)土地評価法をめぐっての論争

神田企平案:真価主義(売買地価主義)

土地の価格は、市場における売買価格から評価すべきと主張する。幕藩時代、土地取引は、市街地宅地の取引が容認され、取引事例も収集可能であったが、大部分の地租を担うべき農地は、有名無実といえ、永代売買禁止の掟により、表向き売買は禁止されていた。こうした掟を全廃したといえ、急に比較しうる多数の売買事例があるわけでもなく、地域的・用途的にばらばらで、全国的に均衡のとれた地価を求めることは不能であった。
そこで、神田公平は、申告地価主義を折衷案とした。
この案は、地租を負担する者が、それぞれ、思うところの地価を申告し、他人の付値がこれより高い場合、その価格で売る義務があり、若しその価格で売ることを肯じない場合、他人の付値を地価とする案である。これは、孫文の平均地権に似ている。土地取引が未熟性で、売買価格に準拠することができない場合の過涯的・経過的措置と考えられる。


陸奥宗光案:法定地価主義

今でいうところの収益還元法である。反当り収量と米価から総収入を査定し、これより種籾肥料代村入費地租を控除した純収益を還元利回りで資本還元して、地価を算出する案である。


当時の土地取引の実情、事務手続きの煩雑さ等からみて、陸奥案の方が、実務的・実際的にみて実行可能であり、地租収入を主な財源とする上で、歳入見込みが予測しやすいことから、この案が評価手法として採用された。しかし、この方法は、その後大きく変動する経済活動に対し硬直的てあり、やがて、土地取引市場の熟成による売買地価との間に大きな齢靡をきたすこととなる。

 

資本主義の発展・拡大は、大幅な景気変動と都市問題などを伴い、担保評価の拡大と適正化、並びに社会資本充実のため、より一層の不動産評価の理論と技術の進歩が要請されました。特に1930年代の金融恐慌を契機として、アメリカにおける不動産鑑定評価理論は、長足の進歩を遂げ、後年、わが国の不動産鑑定評価制度の参考になったとのことです。
 こうしたなかで、第二次大戦による敗戦を迎え、戦後の混乱と窮乏の歳月を克服して、わが国は後興しましたが、大都市への人口・産業の集中によって、昭和30年代から、空前の土地ブームが到来し、急速に宅地化がスプロール現象を伴って進行し、社会問題化しました。そこで、土地政策、地価対策が大きく取り上げられ、不動産鑑定評価制度の確立が要請されました。
 この要請を受け、「答申」から「公布」まで132日という異例の速さで、昭和38年7月6日「不動産の鑑定評価に関する法律」が公布され、翌4月1日から施行されることとなりました。この法律により、不動産鑑定士等の法的地位が確立されるとともに、重大な職責が課されることとなりました。
 又、この法律案に対する付帯決議の一つとして、不動産鑑定評価基準を簸めることとされており、過去集積された実務資料や理論の整理集大成を行う一方で、アメリカ等の鑑定評価理論その他を参考として、昭和39年以降「不動産の鑑定評価基準」「宅地見込地の鑑定評価基準」及び「賃料の鑑窟評価基準」が相次いでまとめられ、これら3部の基準が一体として、運用されることになりま
した。(旧基準)
 その後、不動産鑑定評価基準の整備拡充が要望され、旧基準3部が統括され、昭和44年4月新基準がまとめられ、更に平成2年10月、前回改定から20年余経過し、その間、不動産鑑定評価理論及び実務面における進歩・充実著しく、また不動産を取り巻く社会経済の変化著しいため、基準は改定され、不動産鑑定士等は、当該基準をよりどころとして、現在にいたっております。

 


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土地利用評価センター

不動産鑑定士 濱本 満